私が実務翻訳者になった道のり

学生時代から海外への憧れ

私は1973年、静岡県浜松市に生まれ、中学生で初めて英語を勉強し始めました。

その頃から外国語や海外の文化に興味を持ち、大学は英文科に進学しました。在学中は言語を学ぶだけでなく、「言葉を通じて人と人をつなぐ仕事がしたい」という思いを強めていきました。

大学卒業後、その思いを実現するためにオーストラリアのシドニーへ留学し、現地の中学・高校教員免許を取得しました。

オーストラリアでの教育経験

留学後は約2年半、メルボルンの中学・高校で日本語を教えました。授業では単なる言語教育にとどまらず、生徒たちに日本の文化や価値観を伝えることも意識しました。

異文化の橋渡し役としてのやりがいを実感した時期であり、「言葉を正しく、分かりやすく伝える力」の重要性を肌で感じました。

この経験は、後の翻訳者としてのキャリアにも大きな影響を与えることになりました。

異業種でのコーディネーター経験

教育現場を離れた後、私はシドニーに戻り、語学研修専門の旅行会社でコーディネーターとして約2年間働きました。

ここでは、留学生や研修生と受け入れ先との間に立ち、スムーズなコミュニケーションをサポートしました。

スケジュール管理やトラブル対応など実務的な力を鍛えると同時に、相手の意図を的確に理解し、誤解のない形で伝えることの難しさを学びました。

この経験も、翻訳に求められる「正確さと明確さ」を磨く土台になったと感じています。

帰国後の転機

20代後半で故郷の浜松に戻った私は、派遣社員として複数の企業に勤務しました。

英文事務、海外ユーザーサポート、英語マニュアル作成、そして社内技術翻訳など、多岐にわたる業務を経験しました。

とりわけ技術翻訳の現場では、専門用語を正しく理解し、誤解なく伝える力が求められました。ここで初めて「翻訳を仕事として続けたい」という強い思いが芽生えました。

実務翻訳者としての自覚

教育、コーディネート、事務、サポート業務と、多様な経験を経てきた私にとって、翻訳という仕事はそのすべてを結びつける役割を果たしました。

相手の思いを正確に受け取り、それをわかりやすく形にして届ける。その積み重ねが「実務翻訳者」としての私を形作ったのだと思います。

これまでの経験が一つひとつ翻訳の質を支えており、異なる道を歩んできたからこそ今の自分があると感じています。

これからの歩み

私は単なる言葉の置き換えではなく、クライアントの目的や読者の理解を意識した翻訳を心がけています。そして、言語の架け橋として社会に貢献できるよう、日々学び続けています。

翻訳者への道は決して一直線ではありませんでしたが、教育や異文化交流、実務経験を経てたどり着いたこの仕事こそ、私の天職だと感じています。

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この記事を書いた人

神谷似顔絵

神谷 あきこ

1973年、静岡県浜松市生まれ。
同志社女子大学学芸学部英文学科卒。
大学卒業後、オーストラリア・シドニーのUniversity of Technology, Sydneyに1年間留学し、現地の中学・高校教員免許を取得。約2年半にわたりメルボルンの中学・高校で日本語教師として勤務。その後、シドニーに戻り、語学研修を専門とする旅行会社で約2年間コーディネーターを務める。
20代後半に故郷の浜松に戻り、派遣社員としてさまざまな企業に勤務。英文事務、海外ユーザーサポート、英語マニュアルの作成、社内技術翻訳など、英語を活かした業務に幅広く携わる。